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親不孝 [いわゆる日記・雑感・ひとりごと]

あらかじめ書いておきますが‥‥

柴壱はひどく気落ちしているわけではなく、塞ぎ込んでいるのでもなく
もちろん、泣き暮らしているわけでもありませんので
ご安心ください。




その知らせを受けたのは、18日の早朝、横浜・桜木町のホテルでした。

前日は、昼間、神奈川県立音楽堂で行われた小曽根真さんのコンサート「Road to Chopin」を聴き、
夜、港の夜景の撮影をして1泊したところでした。

 

 

柴壱母は、約7年前から老人ホームで生活をしておりましたが、
8月に脳梗塞を起こし、この2ヶ月半は入院生活でした。

医者によれば、長嶋さん、大島さん級の脳梗塞だ、とのこと。
後遺症で右半身が動かなくなり、口から飲んだり食べたりすることもできなくなってしまいました。

それでも、9月半ばには容態が安定し、再びホームに戻るべく、いろいろ準備を進めておりました。

口から水分や栄養を摂取できなくなった場合、いくつかの方法があるのですが
母は胃を2/3切除しているので、鼻からチューブを通して栄養を流す方法をとることになりました。

その時点では、医者の見立てによれば
この方法で、年単位で生き延びる例もあるし、もちろん、突然急変することもある。
それが、「寿命」というものだ、とのことでした。

つまり「持って、あとどれくらい」という「命の期限」を切られたわけではない、と解釈しました。


しかし、チューブの栄養を始めて3日で、高熱を発し、中断となってしまいました。
誤嚥性というか、逆流性肺炎のようでした。

その回復に時間がかかり、チューブの再開はムリとの判断が下されました。

他の方法は、リスクと背中合わせ。
このまま、最低限の点滴だけで静かに持たせる選択肢もある、とのことでした。

この時、初めて「3ヶ月単位くらいで‥‥」と命の期限を切られました。
それが、15日のことでした。

でも、その日は顔色がよく、表情もあったので、3日後にそんなことになろうとは微塵も疑わず
横浜1泊を決めたのでした。


18日朝5時の段階では特に異常はなかったそうですが、
6時15分頃の見回りで呼吸と心拍がかなり弱くなっているのが発見されたそうです。

電話を受けたのは6時20分過ぎでしたが、
横浜からでは、どんなに頑張っても船橋まで1時間では戻れません。
それでも大慌てで着替え、荷物をまとめてチェックアウトしようとした時に
「今、息を引き取りました」の連絡が入りました。
6時38分でした。

よりによって、こんな時に‥‥です。

ブルテと二人で船橋を離れてどこかに1泊するなんて、ホントに滅多にないことなのです。
ホントは、この秋、宍道湖の夕日の写真を撮りに行こうか、と言っていたのです。
それが、母の入院で立ち消えになってしまいました。

だから、せめて横浜に1泊するくらいいいよね、って。

でも、家にいて車を飛ばしたとて、間に合ったかどうか、です。
そう考えるしかないですね。


柴壱は、父の時も最期に立ち会えませんでした。
父の時は、母も間に合わなかったのです。
母は、自分の両親(柴壱の祖父母)の最期にも立ち会っていません。

だから、というわけでもないのですが
「親の死に目に会えない」というのは、「特別なことではない」というか
「仕方ないこと」と思っているところがあるのです。

むしろ、最期に立ち会っていたら、ショックが強すぎて
今なお立ち直れずにいるかもしれません。



冒頭に書いたように、毎日、悲しみに暮れているわけではありません。
どうぞご心配なく。
ただ、片付けなければならないことがいろいろありすぎて、
ちょっと「てんてこ舞い」しているだけです。
なにしろ、一人娘なものですから。

でも、今日でちょうど2週間(二七日)。そろそろ少しずつ日常に戻ろうと思います。
ピアノの練習も始めましたし、ボチボチとブログも再開します。
来週からは、また仕事も始まりますので。


「今は気が張ってるから平気でも、四十九日が済む頃にじわじわと寂しさが増してくるもんだよ」
と言われます。
たしかに、そうかもしれないですね。


この1~2年の母は、認知症が進んで、表情が乏しく、
コミュニケーションもほとんど取れなくなっていました。

遺影に、とホームの方々が選んでくださったのは、入所して2年目頃のふくよかな笑顔の写真です。

ホントに久しぶりに笑顔の母に会うようで、
うれしいような、楽しいような、不思議な気分で、毎日遺影に手を合わせています。


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